その時その時を生きるのが難しいときがあり、「今日」という日を楽しめないことがあります。「今日」私たちが経験することや、「今日」をともに過ごす人と喜びを感じられないときがあります。
人に気を使いすぎたり、さまざまな心配を私たちは持ちすぎて、心配が積み重なり、根気を要求されることが多いのです。
そのような生き方によって、「未来」が「明日」にでも迫っているように感じ、「今日」だけではやり切れないと感じてしまいます。
本質的な問題は何なのか考え、未来の事は心配しすぎないように。明日でも、来週でも、来月でもなく、今日「だけ」の問題に目を向けるように。
ある一日は、他の日よりも大変な出来事が重なる場合もあります。「明日」が何の予定もなく、くつろげる休日の土曜日だと分かっていれば、私達にとって明日を心配する必要はないのです。しかし、「未来」に対して重要な問題や心配事を抱える、大げさに言うと自ら抱え込みすぎると煩わしさが増していきます。
私たちが、未来を心配しはじめたら、または「起こるかもしれない」ことを考えだしてしまうなら、自分で未来をコントロールしはじめようとしているサインです。自分に対して誠実になると分かるのは、「どうやっても未来、そして明日に何が起こるかは自分には分からない」ということです。私たちは「今日」の午後にさえ何が起こるか分かりません。そんな私たちが確実に知っていることは、今日を何に「ゆだねる」べきかということです。今日も、明日も、未来にもです。
心の中で、正しいことは何か、尊敬に値するものは何か、好きなことは何か、愛すべきことは何か、他人から小さなことであれ賞賛されたことは何か、何にゆだねれば良いか
今日、時間をみつけて、これらを心に留めて整理してみましょう。
そして、実現可能な、失敗の少ない、嬉しい小さな目標を持つことが良いでしょう。この目標が達成されたときに、ひとときの癒しを感じるでしょう。また、しばし「今日」を感じることになります。それを積み重ねて大きな目標につながれば良いのです。
この時に喜びを意識的に感じてみましょう。心配しすぎても変わらないですから。喜びをもって「今日」を宝ものとしましょう。
監修 作業療法士